12『その業ある限り』 人は「悪い行為」を「罪」と呼ぶ。 しかし、「悪い」の定義は人によって様々である。 それ故に、人々はすれ違い、密かに傷付き、知らずに傷付ける。 罪の傷は治ることを許されず、償える罪は存在しない。 そして晴れた空に浮かぶ雲のように時々心を曇らせる。 それは小さな拍子に雨雲となり、時に嵐となり得るかもしれない。 そうなっても諦めてはいけない。 頭上の空がいくら暗くても、必ずどこかに晴れ間はあるのだから。 そして激しい嵐であればあるほどそれを抜けた時の青空は明るく美しいのだから。 夕方になって、リクが宿に戻った時、ファルガールはベッドに横になって本を読んでいた。彼はリクが彼に一言の声も掛けず、ばふっと自分のベッドに倒れ込むのを横目でちらりと見て言った。 「浮かねぇ顔してるじゃねぇか」 「ファル……」 リクはうつ伏せに寝たまま話し掛けた。 「俺って優勝できると思うか?」 「あん? 行列に並んでるいかつい木偶の坊見てビビったのか?」 「いや……俺とそう変わらない奴に睨まれただけで殺されかけた」 それを聞いてもファルガールは全く表情を変えなかった。その代わりに本を閉じ、立ち上がる。 その気配を感じ取ったリクは少し体を起こし、ファルガールの姿をちらりと見た。彼は荷物をもって扉のノブに手をかけていた。 「どこか行くのか?」 「外だ。しばらく戻らねぇ。そうだな、大会の終わる頃には戻ってる」 リクが顔色を変えてがばっと起き上がった。 「ちょっと待てよ、そんなの聞いてねーぞ!」 「当たりめぇだろ。話してねぇんだから」と、ファルガールがあっけらかんと答えたものである。 もちろんそんな屁理屈でリクが納得するはずはない。 「どこに、何しに行くんだよ!」 「あのなぁ」と、ファルガールがうるさそうに、眉根を寄せた。「何で俺が黙ってたのか分からねぇのか? お前に知られたくねぇからだよ」 ファルガールはノブをまわし、扉をあけた。しかしすぐには潜らずに、呆然とファルガールを見ているリクを振り返って優しく話し掛けた。 「リク」 「……何だよ」 「お前は絶対に優勝する。相手がどんな奴だろうとな、逃げずに立ち向かえば絶対に勝てる。……リク、お前の夢は何だ?」 突然意外な事を聞かれて、リクは戸惑った。 「俺の……夢…?」 ファルガールは答えを待たずに続けた。 「少なくともこんなチンケな大会で優勝する事じゃねぇだろうが。逆に言うとだ。こんな大会を優勝出来んようならお前の夢は絶対に叶わねぇよ」 そして一呼吸間をあけると、ファルガールは念を押して諭すように言った。 「いいな。夢を失いたくなきゃ、絶対に負けるなよ」 そしてファルガールは扉の向こうに一歩踏み出したが、また立ち止まってリクを振り返った。 「そうだ、忘れてたな」 「何?」 「ほれ、昨日酒場で気が向いた時に教えてやるって言ったろう?」 「ん? ああ、アレか」 ファルガールとマーシアの中に疑問を抱くリクに対して、ファルガールが答えた事だろう。逢いたいとは思ってたけど、同時に思ってた事もある、というのが、その時のファルガールの答えだった。 同時に思っていた事は結局その時は答えなかったが、教える気になったのだろうか。 「ああ。俺は逢いたいと思ってたんだ、マーシアと。手紙だけでも書こうかとも思った。でもな、俺はいつもその一歩手前でそれを止めてたんだ」 「何でだよ?」 「逢いたいと思うと同時に、逢っちゃいけねぇ、とも思っていたからだ」 それだけ言うと、ファルガールは今度こそ扉の向こうに姿を消した。 後に残されたリクは、「なんだ、それ……?」と、眉をしかめるばかりだった。 ***************************** 大きな三日月の光が決闘場を照らしていた。この街で唯一の石造りの建物はその光を反射させ、栄えある最強の戦士を決める舞台を神秘的に見せていた。 誰もいない決闘場の観客席の片隅にファルガールが座っていた。傍らにはカルの瓶を置き、セピア色の液体を入れたグラスを片手に持っている。 カルのセピア色は見る度に、過去を思い出させる。十五年前、ここでカルク=ジーマンと闘った事、マーシアと出会った事、魔導学校を出てからマーシアに宛てた手紙の事、そして、自分を百八十度変えたある事件の事。 (十年前か……) その頃、ファルガールは自分の弟子を見つける為、世界を放浪して歩いていた。人の住んでいるところならどこにだって行った。 彼は自分を貫く為ならどんな苦労も厭わない男だった。 そして十年前、ある村に寄った。 ここでも彼は自分が教える対象を見つけられないでいた。一週間程滞在したのち、彼は翌日この村を発つ事に決めた。 しかし、悲劇はその夜に起こった。その村を大災厄が襲ったのだ。 竜巻は全ての建物を破壊し尽くし、全てを村から巻き上げた。 雷はところ構わず乱れ落ち、打たれたものは皆燃え上がった。 風がその炎を広げた。 そして、どこからともなく現れたクリーチャーの群れが人々を襲い、殺戮を行った。 ファルガールは大災厄と闘った。 竜巻きに巻き込まれそうになった者を突き飛ばして助けた。 雷に打たれそうになった者は、魔法を使って防いでやった。 炎も魔法で消し止めた。 クリーチャーも自らの持つ、あらゆる戦闘力を駆使して片っ端から倒して行った。 だが、自分が目を放している間に助けた人々は死んでゆく。 ファルガールはめげずに、一人でも多く助けようとがんばった。決闘場でカルクと闘ったその時よりも遥かに多くの力を使って、力が尽きても気力だけで大災厄と闘った。 嵐が過ぎ、夜が開けた 生き残っているのは彼一人だけだった。 ファトルエルの大会の優勝し、最強の魔導士だった彼は、大災厄にまるで歯が立たず、自分以外誰も助けられなかった。 彼が、一夜の闘いに疲れ果て、膝を付いて地面に倒れ込もうとした時、幽かなうめき声が聞こえた。 彼は慌てて立ち上がり、そこに行くと子供が一人倒れていた。 その子供の名がリク=エールである事を知ったのは彼が目覚めてからの事だった。 それから彼は変わった。自分に対する自信は一切持たなくなった。慢心と言う言葉は彼の辞書からは消え失せた。これも何かの縁と、弟子にしたリクと共に一から修行をやり直した。今までの彼は大災厄の中で死んでしまった。 最強だと驕っていた自分。 誰が相手であろうと絶対に勝つのは自分だと信じていた自分。 それがなければ一人でも助けられたかもしれない。 その業ある限り、彼は自分に幸を求めない。 その業ある限り、彼が飲むのは美酒ではなく、過去色をした苦い酒だ。 その業ある限り、彼は愛する人に逢ってはならないのだ。 |
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